渓流岩魚釣りを初めて、既に5年になろうとしています。
最早、岩魚釣りに関しては、達人の域に達したのでは無いかと自負する僕、いや、自分、私なのですが・・・笑
目標に掲げている尺岩魚とは、巡り合う事が叶わず、歳月だけが過ぎて行くばかりです。
自分がフィールドとしている河川では、尺と出会う事すら稀である事も分かって来ました。
でも、何処かには潜んでいると信じて、今後も頑張って行きたいと思います。
それとは別に、伊吹山周辺で渓流釣りする事にロマンを感じる・・・
そう、伊吹山周辺では、数々の歴史が眠っています。
織田信長の姉川の戦いもさることながら、何と云っても、天下分け目の関ヶ原の戦い決戦の地。
(姉川の戦い 屏風)
国見峠とゆかりのある教如上人は、信長の最大の宿敵と云える本願寺顕如とその長男。
当時は坊さんと云っても、武装していましたので侍と変わらず・・・
その首謀とも云える本願寺家は、大名と云っても過言ではありません。
そう、当時、戦国最強と云われた、武田信玄の妹が顕如に嫁ぐ程、力関係も明確。
打倒、信長へ・・・
周辺諸国の大名、そして最強と云われる武田信玄が上洛開始、一向宗徒も一揆を起こし、反信長同盟、包囲網が出来上がりました。
織田、徳川連合軍を武田信玄が撃破、最大の窮地に立たされます。
更に信長は倒しても、倒しても増え続け、向かってくる一向宗にも大変悩まされました。
いよいよ信玄との直接対決と云う時に、信玄は急死(病死)。
信長は九死に一生を得ました。
こうなったら、信長の勢いは止まりません・・・
憎くきは一向宗と、比叡山焼き討ち、長島一向一揆討伐等が始まりました。
世界でも有数の虐殺と数えられるほど残酷・・・。
この余りにも、むごい仕打ちをした事が、数年後の本能寺の変、明智光秀の謀反へ繋がった原因の一つとも云われます。
顕如亡き後、本願寺家の最大権力者が教如上人となったが、秀吉により辞めさせられ、3男准如が後を継ぎます。
教如と准如は対立関係となる。
秀吉が亡くなり、再び天下は動き出す。
関ヶ原の合戦時には、東軍徳川家康に内通している事から、西軍石田光成に追われ、国見峠から春日村へ身を潜めます。
(関ヶ原の戦い 屏風)
その時に身を隠していた洞窟(岩陰)が鉈ケ岩屋、国見峠を春日村へ抜けると在ります。
そうこうしている内に西軍が破れ、教如上人は助かりました。
家康を助けた教如は再起。
東本願寺を創設し、本願寺は東西二派に分派した。
(本願寺を恐れた家康の懐柔策とも云われる)
教如上人とは誰ぞや?と・・・
以前、親父と国見峠で立ち止まった時に、教如上人像がこんな所にと暫く見入っていた。
調べてみると、顕如の子と驚き・・・
戦国乱世を生き抜き、東本願寺を創設した、とてつもない人物でありました^^;
NHK大河ドラマで、顕如とか、教如なんかやっても面白いかも知れませんね。
他では、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の大名も数多く、伊吹山中、国見峠から春日村へ逃れて行きました。
石田光成しかり、小西行長なんかは伊吹山周辺で捕えられ、京都の六条ケ原で斬首されています。
鰻釣りを先日から、揖斐、長良川河口で再開したのですが、その周辺も信長対一向宗との激戦を繰り広げた舞台、歴史を辿れば共通点が見つかるのも面白いところ・・・。
永源寺と春日村との共通点は木地師ゆかりの地であったりと・・・
木地師と国歌君が代の関係等・・・
発見は沢山あります。
そんなのを勉強しながら、釣りをする事に面白さを感じます・・・笑
渓流釣りを初めた当初は、元気もありました。
遮二無に山奥へと入ったのが当たったのか、27、28cm程の岩魚は何度もあげたのですが、ここ1、2年はサイズも出ないのが結果。
やはり、人の手の届く範囲では難しいのかも知れませんね。
2009年度に尺を一度上げていますが、その時は、逆に人が入りやすいから、人が釣らないような場所であったため・・・
それ以後は、その場所でも釣れませんが・・・・
新たな支流を探検する時かも知れません。
今日は早起きして、姉川支流は板名古川の源流を探りに行く予定でしたが、今日も寝坊してしまい起床が10:00・・・
寝坊と云っても仕事では在りませんので、自分のペースで軽く気分転換にと向かいました。
場所は予定通り板名古川で、目標地点を目指すのでは無く、時間を決めて釣れる所までと進みます。
林道は、やはり鎖で閉ざされていましたので、そこから釣り上がります。
この時期のこの場所からは、岩魚は期待できないのは分かっていますが・・・
渓相はとてもいいのですが・・・
岩魚はいるのでしょうが、アブラハヤの群れのが多くて・・・
このままでは、餌が持ちませんので、春先に釣り上げた堰堤に狙いを定めましたが、そこでもアブラハヤの場となっていました。
林道へ出て、一気に上流を目指します。
空は無風雲天となっていました。
右手に伊吹山が聳え立ちます。
丁度、その際を板名古川が流れています。
以前に熊を見かけた近くで・・・。
この木には、上まで、無数の爪痕が付いています。
よじ登ったのでしょう。
この様に熊の痕跡も集めていたのですが・・・
この木の痕跡も写真に収めていたのですけど・・・
それが誠人の渓流釣り馬鹿日記のTOPページが開けない、痕跡写真集が開けない状態(泣)
この林道も、人気が無いので完全にブッシュに覆われてしまっている状況・・・
ツキノワグマには適した環境が揃っています。
ここから、入渓開始。
堰堤が3つあって、それを越え、源流へ入ります。
しかし、暑いし、足場が悪いので足首が痛い・・・^^;
渓流へ来ても、今日は涼しむ処か、暑いから・・・
足俣川の方が気温が低いような気がするな〜
先日よりも、気温が高いのか・・・?
大きなカモシカが奇声を上げながら、走って行きました。
カメラに収める準備もする間も無く・・・
鹿の足跡があちら此方に・・・・
堰堤を越えれば、源流域への入り口です。
此処からが長い・・・
時間を見て引き返します。
黒いアゲハの群れが・・・
調べましたが、恐らくミヤマカラスアゲハと云う蝶。
綺麗でした。
釣りは蜘蛛の巣が多くて、まともな釣りになりませんでした。
岩魚は泳いでいるものを何度も見ましたが、警戒心が強くて釣れません。
何とか、一匹釣った頃は、16:00
本来、渓流釣りは、一匹釣れるか釣れないかの釣り。
これで良しとし、終了します。
20cm以下ですが、久しぶりに骨酒が飲みたく、持って帰りました。
帰路で見つけた熊の巣らしき穴。
気になったのですが、近寄れず。
合歓木は先日同様、今がピーク。
岩魚は、家で捌いて焼きました。
焼き加減はこんな感じ・・・
鰭各所に塩をふり
カンをした日本酒をかけます。
時間を置けば、お酒に出汁が染み出して、琥珀色に染まります。
久しぶりに呑んだ感想は・・・
感無量の一言だけ^^
此れも岩魚釣りの魅力の一つ。
やめれへんよな〜 笑
骨酒・・・
そう、渓流魚で骨酒に出来る魚が、もう一匹いる。
カジカと云う魚。
岩魚の骨酒に引けを取らず、それ以上とも云われる魚で、岩魚釣りが禁漁シーズンとなれば、カジカ釣りの時期へと入る。
一度、釣ってみたいので釣法を勉強します。
楽しみを増やして行かへんとな…